CREATOR’S LIFE vol.1 | 山口 奏(Surfboard Shaper & Artist)

CREATOR’S LIFE vol.1 | 山口 奏(Surfboard Shaper & Artist)

2018.10.06

「Freedom & Native」「People」をテーマに掲げ、Short pants every dayが発信するインタビュー企画。

職人になるまでのことや、これからのこと、ライフスタイルなどを紹介させていただきます。

第1回は宮崎県西都市にて、サーフボードシェイパーそして、アーティストとしても活躍されている山口奏(やまぐち すすむ)さん。

サーフィンの地位向上を目指してアートにも挑み、宮日美展でも入選するなど、
活躍のフィールドを広げています。

宮崎県のシェイパー界を牽引してきた山口さんの過去やサーフィンを通して見えてきた人生観、
後世に伝えていきたいことなどをご自宅兼シェイプルームにお邪魔し、インタビューをさせていただきました。

ご自宅には小説や哲学、物理学など多種多様なジャンンルの本、アート、プラモデルなどがあり、奏さんの好奇心旺盛な性格が垣間見えました。

そんな知的な奏さんが長年考えてきた「人はなぜサーフィンをするのか?」という話は是非サーファーやアウトドア好きな方には一度読んでいただきたい。

それでは早速、インタビューへ。



- 経歴を簡単に教えていただけますか?

自動車の整備士をしていました。
中学生の頃から機械をいじるのが好きでね。
高校生の頃はよく地元のヤンキーが集まるアメ車を改造するお店でバイトしてました。
そのおかげで手先も器用になったし、機械に関する知識もつきました。
地元のヤンキーの兄ちゃんたちにも可愛がってもらいましたね(笑)
高校卒業後は鹿児島の職業訓練校に行って、その後は大手企業の自動車ディーラーで10年くらい働いていました。

- その後どうしてお仕事を辞めたのですか?

まず、とにかくバリにサーフトリップ行きたくて大手ディーラーをやめました!
まあ、そもそも大きい組織に入ることが向いていなかったんですよ、僕の性格上。
大手企業って自分の将来がどうなるかってある程度想像ついちゃうじゃないですか?
それが嫌だったんです。

- シェイパーになったきっかけは?

自分がオーダーしたサーフボードがイメージと違うものがきてたんです(笑)
サーフボードシェイパーへの要望がうまく伝わらなかったんです。
でもその時は先輩に「つべこべ言わず乗っとけ」って言われるわけですよ、、、
最初は半分諦めていたんですけど、「それなら自分で作ってみよう!」と思いました。
そして自動車整備士時代の経験を活かして、スポイラーを作るFRPを使ってオリジナルのボードを自分で作り出したのがきっかけというかシェイプの始まりですね。
決していい板ではなかったですけど(笑)
当時は板を削るということ自体がサーフショップの方々にはいいイメージがない時代で、怒られるのでこっそり隠れて作ってました(笑)



サーフィンはいつ始めたんですか?

19歳ごろですかね。鹿児島の職業訓練校にいたころです。
子供の頃、よく遠足で高鍋のビーチに行ってて、サーフィンっていうもの自体は小さい頃から知ってたんです。
ずっとしたいとは思ってたんですけど機会がなくて、、
で、ちょうど鹿児島の学校が海から近くてサーフィンしている先輩がいたんで、先輩の一人に連れて行ってもらいました!
本格的に始めたのは卒業して宮崎に帰ってきてからですね。

- 当時も結構サーファーはいたんですか?

今ほどはいなかったんですが、卒業後に入った会社の先輩が「俺サーフィンできるぜ」って言ってたんで連れってもらったんです。
その先輩のパドルがケリースレーターみたいに胸を反っててめっちゃかっこよかったんですよ!
けどパドルだけでテイクオフもドルフィンもしないんですよ(笑)
実はパドルしかできなかったという、、、(笑)
しかもその先輩にリーシュ代わりにビニールひもを足にまきつけてサーフィンさせられて「サーフィンってこんなに辛いのか!」って思って
周り見たらみんな全然違うものを足につけてたんです。
昔はこんな感じでむちゃくちゃな人ばっかりでした(笑)
けどみんなかっこよかったんですよねー
今よりも全然みんな「サーファー」って感じでした。



- 今のサーフィン界に必要なものってなんだと思いますか?

子供達に希望を与えることですね!
もともとサーファーって本当にいろんな生き方だったりライフスタイルがあったんですけど、
今ってほとんどが会社員だったり公務員だったり、僕が思う自由で波と共に生きるかっこいいサーファーがどんどん減ってきちゃってるんですよ。
もちろんそういった真面目に働いている方々を否定をするつもりはないですよ!(笑)
プロの子たちも引退後は自分のサーフショップを持つってことしか知らない子が多いんですよ。
けど、そうなってるのは僕らが悪いんです。
「波乗りするためにはいろんな生き方がある」ってことを
もっと僕たちの世代が伝えていかなければならなかったし、これから伝えていきたいですね。

- 奏さんがサーファーだけでなく、今の若者に伝えたいことは何ですか?

「常識を疑え」ということを伝えたいと思っています。
今は多くの情報が転がっているから、ものづくりするにしても「〇〇と〇〇が必要です」って書かれているから行動する前に諦めちゃうやつとかいると思うんです。
けどその情報ってあたっていなかったりするんです。
意外と自分で本気で考えて、完成品を真似してやったらできたりするんですよ!
まあ大概失敗するんですけどね(笑)
失敗から学べばいんですよ。
その道の先輩たちに直接聞いたりしたらいいんですよ!
みんな失敗を恐れてチャレンジすることを忘れないでほしいですね。
僕もシェイプし始めた頃はほとんど失敗の連続でノイローゼになりかけましたよ(笑)

- 奏さんにとってサーフィンとは?

それ聞いちゃいます?サーフィン観変わっちゃいますよ(笑)
サーフィンって中毒性めっちゃあるじゃないですか。これって本当に異常な行動だと思うんですよ。
周りはサーフィンは自己満足っていう人いますけど、自己満足でこんなにはまる訳ないんですよ。
なんか本能で海にいってる気がして、、、
で、「なぜ人は海に入るのか」っていうのを3年考え続けましたね。
その答えなんですが、サーファーって人間界と自然界の境界にいるんです。
人間っていうのは自然と共存するために自然界をある程度は壊さないといけないんです。
それは自然は常に広がろうとするというか、人間界に覆いかぶさってくると言うか、、。
で、サーファーは海に入ることによって自分の人間界の縄張りを広げようとしているんです。本能的に!
大昔に人間が自然界と戦っていたDNAが残ってるんですよ。
チャレンジして沖に出て、自分の限界をちょっとずつ超えて、人間界のエリアを広げていくものがサーファーがサーフィンする理由だと思うんです。
だから本能で沖にでていくんですよ、サーファーは。知らない世界を見に行くんですよ。
それを極めたやつらがBig Waverだと僕は思ってます。
誰よりもアウトで彼らは波待ちしているでしょ?



- 最後、奏さんにとって人生とは?

本当に人生は波乗りと一緒だと思うんです。
沖にでて、波を待って、いい波がきたらそれに乗る。
シンプルだけどこれって本当難しいですよね。
いい波に乗るには、良い波が立つタイミング(時間)にそのポイント(場所)に居ることが大事なんです。
人生も一緒。
波がいいところはカレント(潮の流れ)もすっごい早くてきついんですよ。たまに自分がどこにいるのかわからなくなるくらい。
そのために、みんなには自分の位置を確認する方法を知ってほしい。
自分の位置を確認するには「2つ」基準にする軸がいるんです。
その基準を見て、自分の位置を確認するわけです。
基準を他人にしてしまうと流されていることに気づかないんです。サーフィンもそうですよね?
だから動かないものを基準にして、ぶれない軸を二つもっておくべきなんです。
言いたいことは周りの意見や時代、人に流されないように自分のぶれない軸を自信をもってもっておくこと。
そうするといつかいい波に乗れますから。



奏さんの書斎からは昔から物作りが好きだったことが伺えました。



パートナーのShihoさんはシェイプルーム横のアトリエでアートを制作しています。
Instagram: https://www.instagram.com/shihotanakaartworks/



S-design&craft (SURF CREW)
HP:http://s-designandcraft.tumblr.com/
Instagram: https://www.instagram.com/sdesignandcraft/



Interview & photograph by Akifumi Miyoshi

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