【My Journey】僕のShortpantsなEveryday!

【My Journey】僕のShortpantsなEveryday!

2021.06.04
HI、僕は自称トモくん、他称えろとも、本名伊藤智彦といいます。Short pants every dayのJournalのライターとして参加することになりました、イェイ!

僕は「クローゼット(ズボンの棚)にはいくつかのショートパンツと1枚のジーパンでいい」と言えるライフスタイルを求め半歩ずつ進み、時には5歩戻ることもあるけど、そんなライフスタイルの求道者です。時には過去形で時には現在進行形で僕のJourneyを書いていこうと思ってます。
そんなJourneyが文章になったものがJournalなんだぜ。
自己紹介もしたいけど、まずはMy first short pantsを紹介したいと思う。

愛を込めてshortpants=短パンと呼ばせてもらいましょう。当時使っていたものは当然もうないのだけど、たまたま当時と全く同じ型、色が今もあり、残っている。これってスゴイ。なんと僕が愛着を持って使っていた短パンの話は僕が10歳ぐらいの頃の話なのだから。僕は今Around40なので30年前の話、今も同じ型の同じ商品が売っている奇跡。スヌーピーのライナスが愛着を持って引きずっていたタオルよろしく、僕はこの短パンを毎日履いていた。そう、思春期になり僕がバギーズショーツはちょっと短いんだと気づくまでは。バギーズショーツはかの有名なパタゴニアのベストセラー商品なのだけど、当然30年前はまだ無名のブランド。たまたまアパレル業をしていた母親が東京の展示会でパタゴニアのブースで署名したらしくカタログは毎年送られてきていた。幼少期の僕がボーイスカウトをしていた中で母は何気なしにこれを買い与えたのだろう。それがショートパンツとの出会い。パタゴニアとの出会い。そしてこの年に4回届くパタゴニアのカタログが僕のバイブルとなった。

バギーズショーツは短くて恥ずかしいと感じるようになってからは寝巻きとして活用していたので多分10年ぐらいは履いていた気がする。最後はヨレヨレとなり気付かないうちに母に捨てられていたのだが、それを責めたうえ、ゴミ箱から引っ張り出したことをなんとなく覚えている(そして最後は短パンのパタゴニアのタグだけひっぺがえし当時始めたクライミング用のチョークバックに縫い付けて、ついに自らゴミ箱に突っ込んだ)。エアガンとザリガニ釣り用の仕掛けを持って裏山に行っていた小学生の頃も。バス釣りを覚えてため池に早朝に行っていた中学生の頃も迷いなく履く一枚だった。

僕の自己紹介は宮崎の紹介になっていくのだけど、僕のアウトドアな半生をshortcutで紹介したい。僕の愛する宮崎は海山川全てが揃っており雪に関すること以外全てできるアウトドア天国なのであるが、熱いぐらい暑いので短パンは年のうち9ヶ月は使っている。ここで、読んでくださっている皆様の興味関心をフルイにかけるために僕にアウトドア遍歴を説明しておこうと思う。引っ掛かる人はこのshort pants every dayをブックマークして欲しいし、興味のない人は今日でサヨナラかもしれない。
さてさて、僕は全くアウトドアに興味もない両親のもとに生まれ(ただしゴルフを除く)けど僕のアウトドアが好きになるきっかけは唯一ボーイスカウトだったのだと思う。高校の頃は山岳部、ほぼほぼ宮崎の山ばかりであるがひたすらに登っていた。ちょうどその頃、初めてのクライミングウォールが宮崎にできてフリークライミングとボルダリングを始める。(この頃、当wagonの錦田さんと知り合うことになるのだが、その話はいずれ)

何の運命か浪人をすることとなり、自由な時間ができて(笑)本格的にクライミングを追求する一年ともなり、サーフィンを始めた年にもなった。クライミングでは大会に出たり海外の岩場をまわったりとそこそこどっぷり追求していたけども、コンペ思考の強かったこともあり成績の伸び悩みもあって徐々に足が向かなくなり、反比例的にサーフィンの比重が大きくなったのが22歳の頃だったかと思う。サーフィンを好きだなと感じた時にはクライミングの時の追求法を反省し、あくまでもコンペ思考にならずフリーサーファーとして追求していこうと誓った。
まー特別サーフィンも上手くなったわけじゃないけど、ショートボードから始まりロングボードもフィッシュもシングルフィンも乗る。特にはこだわりもない。結論いい波だったらどんな板だって楽しいと思えるようになった時、追及方法は間違いなかったと察することができた。

35歳の頃に、通っていたスポーツジムが新規の施設に小規模なクライミングジムを併設することになって、ルートセッティングなどメンテナンスなどをするようになった。昔取った杵柄だけど、たくさんの初心者に教えて喜んでもらえることに僕も少し喜びを感じられている。ちなみに昔と比べたら僕自身は全然登れないのだけど。ここで知り合うちょっと変わったおじさんたちが今の山友達でもある。

ちょうどその頃(同じく5年前ごろ)、本業の付き合いでロードレーサー(自転車)を手に入れ自転車の大会にちょこちょこ何度か出ていた。自転車自体は結局お金かけないといけないこともあったり、少し優越感に浸りがちな(オラオラ系な)側面を感じ自転車単体にはハマらなかった。その一方で寒いのが苦手だったことから、サーフィンから少し遠ざかってしまう冬の時期はプールでスイミングをしていた。自転車もスイムもしてるなら苦手なランだけ頑張れば出場できるかなと安易にスタート。トライアスロンは大会が春にあることもあって意外とサーフィンシーズンへ向けての予備練習や冬場のウェイトコントロールのために有意義で続けている。

トライアスロンの練習をしていると、いつの間にか嫌いなラン対策のために、嫌々走ることが多くて研究好きな僕はランの研究と追及をすることになり、興味本位でトレイルランニングをすることとなる、山岳部時代のきつい、汚い、臭いの山(旧3K)から、軽く、かっこよく、クール(新3K)な今のスタイルに感銘を受けて、軽い荷物で登山をするウルトラライトハイキングとかファストパッキング(つまり山登り)を再度始める。
現在は、フライフィッシングもしくはテンカラをしようと道具をネットサーフィンしている日々。そんなショートパンツなevery dayを過ごしているのだけど、初めてショートパンツを履いてバス釣りに行っていたころも今も、ショートパンツはいつも自由といた。
昔、山岳部では山登りの時には長ズボン・長袖でないといけないというルールに支配されていた。ショートパンツで登っていると中高年の方から注意を受けることもあった。山の世界にトレイルランニングが認知されて以来そんな雰囲気は感じなくなってきて、今では寒い時期以外はほぼショートパンツで登っている。なんだろうそれだけで自由といる気になる。
そうか、今も昔も僕は自由でありたいのだ。このJournalを通じて僕の自由なJourneyを紹介していけたらと思う。

ではまた。


ライター : Ito “Ero-Tomo” Tomokun

プロフィール

伊藤智彦 1982年生まれ.宮崎市出身 青島在住
運動嫌いの高校生が行き着いた部活は山岳部.登山とロッククライミングを始める。浪人の頃にはサーフィンを始め、東京の大学にいくが宮崎の自然と海を捨てきれず、卒業後にソッコー帰郷.山は登山やトレイルラン、ボルダリング、海はサーフィンやダイビング、陸ではトライアスロンや料理など、満遍なく中途半端に上手くなるのが得意.さまざまな仕事、バイト(山岳ガイド、サーフインンストラクター、サーフギアのセールス)をした後、本業は会社を経営している。最近、小学生の頃の夢は作家さんだったことを思い出し、ライターの仕事を始める。(やらせてくださいと頼みこむ)

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