【My Journey】僕の日本を旅するEveryday!

【My Journey】僕の日本を旅するEveryday!

2021.07.30

第3話も見てくれてありがとう!第2話は世界だったけど、今度は日本だ。

こんな旅好きな僕は、バイトや仕事も「出張があるよ」という誘い文句に弱い。出張があると、その先にある出会いや食べ物に期待してしまうんだ。だからお金の話抜きに乗ってしまう。

大学生の頃はチェーン店の焼き鳥屋で働き、店長がアル中だったもんだから(手が震えてレバーが串に刺せないという)バイトなのに学校の時間を削って手伝っているうちに店長のような働きをしてしまい(月に20万も稼いでしまった)、口出すバイトは本部に嫌われ、売り上げのためにシフト調整をする僕はバイト仲間にも嫌われ、結局クビになるという悲しい結末を迎えた大学1年生。

2年生になって、僕は毎日空いてしまった週末をどうするかとなった時に、大学山岳部だったことを思い出して久しぶりに部室の門を叩いた。ドアから出てきた部長は春スキーに行き過ぎてゴーグル焼けがひどく内心「褐色パンダ」と呼んでいたぐらいの状態で、その他、ゴリラみたいな見てくれなのに知的レベルの高い「電卓先輩」や山ではへばるのに皇居ランにはめっぽう強い「飛脚さん」など部員は少ないが個性豊かな先輩がいて、ほとんどが確実に4年生以上なのだが、たまにしか部室に来ない僕のために先輩たちは苦手なクライミングをしてくれたり、年に一回は高田馬場にある「山岳部だ」という合言葉を言うと支払いが税込3000円になる謎のキタナシュランな居酒屋に連れいってくれた。その部活でまた山のバイトを紹介されるからまた部室に行かなくなってしまうのだが(笑)紹介されて長くしていたバイトが山岳ガイドのアシスタントや歩荷(ぼっか)で、中でもよく行っていたのが屋久島だった。

山岳部で20kgとかの荷物に慣れていると歩荷バイト(お客さんの荷物を代わりに持って山小屋まで上がる)もアシスタントで最後尾を歩くこともなんてことはないのだけど、一番良かったことは、北は福島、南は屋久島まで山を「仕事で」行けることでとても楽しかった。そこで知り合う山のガイドのおじさんたちがまた「山を愛し山に愛されてきた人たち」でギリギリ社会に適合している人たちだった。ハードな山行なのにお客さんが寝てからスタッフで飲む用に一升瓶を背負わされたり(次の日は二日酔いで吐きながら登るという苦行が待ってるのだ)、3回目の結婚祝いだ!とバブル時代から温めてきた30万円の高級ワインを開けて紙コップで飲んだり、もはや仕事は遊びだった。そんな先輩方と山の仕事も泊まりだけど、プライベートでボルダリングやキャンプに行ったり、1人のクレイジーな先輩とは韓国と北朝鮮との国境の街にクライミングに行ったりとたくさん旅をさせてもらった。

サーフィンを一度仕事にしてみたい!と思っていた。そしてサーフギアの営業の仕事は日本中のサーフポイント回れるよという口説き文句に乗って、最初の1年は副業で、後の1年は本気でしてみた。結論から言うと、サーフィンをするのに宮崎の方が環境も波も良くて県外にいても宮崎の波が気になって、ハイエースでの営業の旅も1週間もすると波のない日本海を見ながら僕は何をしてるんだろうと思うようになり、嫌々サーフトリップ(営業しろ)していたからこの仕事は宮崎人には合わなかったなと思う。けど、千葉以南の大体のサーフポイントは回ったし、宮崎に引けを取らないいい波が来るポイントにも行けた。

営業に出るとお金がもったいないから2−3週間車中泊なのだが、海沿いに駐車できる時はまだ良くて、大阪や東京のショップは昼間別の仕事をしていて夕方からお店を開けるということもよくあり、昼間はひたすらスーパー銭湯で時間を潰し、夕方から動き出すという非常に非効率な営業しかできなかった。なので、1件か2件の営業が終わるのが9時ごろ、街中のコインパーキングで車中泊をしないといけないのだが、朝起きたら真横を通勤客が歩いていて起きたばかりの薄汚いサーファーの僕と目が合うなんてこともしばしばあった。結局、時々サーフィンができても宮崎帰りたいよー帰りたいよーと思っていたので、長くは続かなかった。

サーフィンに関しては、サーフィン目的で県外に行くことはほぼないのだけど、唯一行くとしたら、種子島や奄美大島などのアイランドだ。特に種子島はここ宮崎から鹿児島港まで走ってしまえば、フェリーに車載するかトッピー&レンタカーですぐ行ける。波もいいし、ポイントを探せばたくさんサーフポイントもあるので混雑も避けられる。昔、友人と一緒にサーフトリップに行った時には僕は種子島でかわいい人魚(ボディーボーダー)を見つけ、のちに彼女は友人の妻になった。もちろん僕のナイスアシストがあったことを声を大に言っておこう。注:今から探しに行ってももう人魚はいないだろう

運が良ければ同性異性問わず、運命を変えるような出会いがあるかもしれない。旅先には未来のワイフやベストフレンドがいるかもしれないのだ。

最近(コロナ禍前に)県外に行くときは大体山が目的となっている。大学生の頃の山の景色はあまり記憶に残ってないけど、最近は歳をとったせいか自然の美しさとかがハートに染みるようになってきた。ちなみに、危険レベルが下がり近くまで行けるようになった霧島の新燃岳は地球の息吹を見ているようで久しぶりに感動した!

最近の山旅は登山を目的とする時とトレイルランニングなどの大会を目的とする場合がある。最近は妻が僕に見えない鎖を掛けているので九州の外には出れないのだが(それでも感謝している)久しぶりにO M M(オリジナルマウンテンマラソン)というトレイルランニングの大会を目的に行った北アルプスの白馬はとても美しかった。

マラソンやジョギングを趣味にしている人がいたら、トレイルランニングは間違いなくおすすめできる。普通マラソンでは42.195kmを目標にし、走れるようになったらタイムを縮めることが目標になるのだと思うが、トレイルランニングはちょっとづつ長い距離が走れるようになることが目標になるし、山中の無数にあるチェックポイントを探しながら点を稼いでいくオリエンテーリング(ロゲイニング)といった競技や、O M Mは2日間にわたるゲームなどもある。こうなってくるとただスピードがあるだけではなく、知識や経験も必要になってくるのでさらに面白い。

世界を旅することも大好きだけど、日本もまだまだ行ったこともない街がたくさんある。昨年スノーボードも買ったからもっと行かなくてはいけない場所も増えた。若い頃はいつかは尽きる、もしくは諦めるだろうと思っていた旅する欲というか、好奇心はなくなりそうもない。いつか子供が大きくなったら一緒にアメリカのトレイルを歩きたいなぁとも思うけど、子供がそんな旅を望んでくれるようにアウトドアな英才教育をしていこう。そして、この妻の鎖がちょっとづつ使い古したショートパンツのゴムのようにゆるゆるに伸びてくれルことを祈りつつ、子供が小さいうちは近場のちょっとした旅をしばらくは繰り返していけば良いのだ(と自分を慰めている)。

ライター : Ito “Ero-Tomo” Tomokun

プロフィール

伊藤智彦 1982年生まれ.宮崎市出身 青島在住
運動嫌いの高校生が行き着いた部活は山岳部.登山とロッククライミングを始める。浪人の頃にはサーフィンを始め、東京の大学にいくが宮崎の自然と海を捨てきれず、卒業後にソッコー帰郷.山は登山やトレイルラン、ボルダリング、海はサーフィンやダイビング、陸ではトライアスロンや料理など、満遍なく中途半端に上手くなるのが得意.さまざまな仕事、バイト(山岳ガイド、サーフインンストラクター、サーフギアのセールス)をした後、本業は会社を経営している。最近、小学生の頃の夢は作家さんだったことを思い出し、ライターの仕事を始める。(やらせてくださいと頼みこむ)
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