【My Journey】僕のサーフィンライフなEvery day!

【My Journey】僕のサーフィンライフなEvery day!

2021.11.05

18歳「初めてのサーフィン」

2000年1月、僕はセンター試験で1つのマークミスで解答が一行ずつづれ、一番重要な英語で100点も落とすという大失態。直前まで学校も親も僕もそこそこいい大学に行けるのでは?という期待もあったものだから、マークミスをしたと気付いたのは試験の終わった休み時間だけど、自分の中で消化し学校と親に報告できたのは1週間も経ってからだった。それからアタフタと10個ぐらい私立大学受けたけど、対策もしてなかったからダダ滑り。浪人することになった。当時父親の事業も上手くいってなく、僕も浪人。当時、宮崎に予備校がなかったから高校が浪人生のために授業をしてくれる4年生制度があった(補習科)からそこに行く。家も澱んでいて、学校も澱んでいて(補習科はみんな滑った子だから)、卒業できた子達はキャピキャピで、けど僕は同じ学ランで同じ学校に通う。毎晩胸にボーリングを乗せて寝るようにしんどかった。家でも学校でも自分の脳内もどうしたの!?何が悪かったの!?反省点は!?の繰り返しだった。

受験だったから浪人決定して行くクライミングも少し久しぶりだった。クライミング仲間の(とは言っても当時40歳ぐらいかなぁ)Kさん「せっかくあと一年宮崎におるっちゃかいサーフィンでもしてみればいいがね」とむしろ宮崎に残れることがよかったことだねぇと言わんばかりに来週サーフィンに連れて行ってくれることになった。

初めてのサーフィンは多分3月か4月の水曜日で雨が降るか降らないかの曇りの日だったと思う。そして多分GAPポイントだったと思う。多分ぐちゃぐちゃの波だったと思う。借り物のボードとウェットスーツ。僕はまだ冷たい海でもがき苦しみ、鼻も目もぐちゃぐちゃで寒く辛く30分も入れず、砂まみれでビーチに座り込んだいた。ふと気がつくと四六時中頭の中にあった受験の前のプレッシャーも失敗した後の後悔も不安も何も無くなった。それから、Kさんの休みの水曜日は学校を抜け出しサーフィンに連れて行ってもらった。心待ちにしていた水曜日はまさに水の日となった。

学び「サーフィンは嫌なことも辛いことも洗い流してくれる。」「Kさん、ありがとう」

28歳「スタンディングチューブ」

僕はSUMRというサーフギアの営業をしていた。ボスはオージーのアダムだ。営業に出ると辛いけど、宮崎にいる間は商品の発送をしたり、アダムの苦手な契約書とかを通訳したり、最近買ったサーフボードの話とか、来年の展示会の話とか大体楽しいし、波が上がれば遅刻も早退もOK、お互いに。あの働いていた2年弱、早めに仕事を切り上げてよく一緒に海に入った。

その日の場所は串間のスペシャルと言われるところ。台風の名前はマーゴン。波のサイズは6ftぐらい(頭半~W)のサイズ。僕は逃げ出したかった。ムリムリと言いたかった。けど少しだけ彼の言葉に押された。今までもそれぐらいのサイズには入ったことはあったけどここはスペシャル。バレルが巻いている。アダムは僕をプッシュしてくれる、僕が躊躇するサイズでも「I know your skill, you can get some」(僕は君のサーフィンを知ってる。入れば乗れるよ)と。彼は僕の決定を待ってくれた(こういうところが外国教育のいいところだと思う)。自分のスキルの限界ぐらいだ。横を見ると1人はアウトにも出られず流されやばいとこに行ってしまっていた。上がってきた人もニコニコしながら足は流血している。30分は眺めていた。ふと少しだけ風が収まり、ふと少しだけお化けのようなセットが減った気がした。昔海外に行った時、DVDでしか見たことのないようなデカくていい波が目の前にあるのに怖くて指を加えて入らなかったことを思い出す。

「OK,I’m in」アダムは入りたいのを30分も我慢してくれていたから、ことさらその決断を喜んでくれた。その波で使える板も持ってなかったので、アダムから借りた6.6ftのセミガンでピークに向かう。僕よりもっとデカい波に慣れている人からしたらウォーミングアップのサイズだろう。けど僕は久しぶりのサイズと、テイクオフしたらすぐにできる長く高いウォールに圧倒されていた。

ピークに着いても心臓は高鳴り足は震え、波よ来いと思っているのに来ると逃げる。さらに30分以上まさに文字どうり右往左往していた。大体こういう心臓が高鳴り、足が震えという状態は良くない。波まちをしながら太ももを力一杯掴む。できる、怖くないと自分に言う。意識して呼吸をする。首と肩を上げ下げする。一生懸命自分の心臓と体をコントロールしようとする。

お互い知らない人でも、この波が好きでこのピークにいるサーファーは皆仲間だ。少しだけ小ぶりな波が来た。アウトにいるおじさんサーファーは板を返す代わりに、僕に向かってGOGOと言う。僕がパドリングし出すと他は誰もパドリングをしない。行かなければ2度と波は回ってこないと思う(実際にリーフブレイクではそうだ)。ここのポイントのセオリーはミドルのチューブになるセクションに向けてテイクオフのスピードを活かさなければならない。けど追いつかず。巻かれる。

2回目。1回目でビビってサーフボードを引かなかったから、2回目のチャンスも来た。今度はさっきよりももう少し大きい。一度巻かれると頭がスッキリするもんだ。先ほどと違いテイクオフの瞬間、脳は無に還る。記憶はコマ送りの映画のようだ。ボトムターンだ、けど深すぎてはいけない、薄いボトムターンから長く伸びたウォールを眺める、長く伸びたウォールは一瞬で君を包む、包まれたと思った瞬間出口が縮み始める、その出口の向こうには友達のトーマスが見えた、急いで出なきゃと念じたら、出れた。出た瞬間、フフーと奇声をあげてガッツポーズをした。そしてまたピークに向かうのだ。

通りすがりトーマスに「ナイスバレル、けどガッツポーズはnot cool、嬉しくても平然としてないとね」と日本人の白鵬論みたいなこと言われた。

そして3本目は借り物の板が折れておしまいになった。アダムありがとう。板折ってごめん。けど「いい波だったし、サーフボードは消耗品だし」って言う彼は最高のボスでした。

40歳「青島のサーフィンライフ」

6:00目が覚める。我が家の可愛いモンスターを起こさないよう目覚ましもない。隣を見るとモンスターは起きていた。妻はすやすやと寝ている。僕がベッドから抜け出してもモンスターは気にもとめない。妻が出ていこうものならモンスターは火を吹いて泣くだろう。部屋から見えるフェニックスを一瞥し、風が吹くようならベッドに戻り、風がなさそうならリビングへ。今日は風もなさそうだ。

コーヒーをコーヒーメイカーに入れる。コーヒーメイカーはボコボコ言いながらコーヒーを淹れてくれる。今日は沖合に高気圧があってその少し北側には低気圧がある日だ。少しは波が上がりそう。木崎浜は胸ぐらいだろうから、青島は腰腹ぐらいかな。「潮は・・」と呟きながら、携帯でチェックをする。

コーヒーは出来上がる。

波が良さそうと判断すると急に行動が速くなってくる。コーヒーに冷たいミルクを入れて飲むペースは早めに巻く。ぐしゃぐしゃの髪をキャップに押し込み、はたから見ると今まで着ていた寝巻きと変わらないような海用のショーパンツとTシャツに着替える。

赤い自転車のキャリーに最近お気に入りのマイケルミラーの9.5ftロングフィッシュを積み込み、青島のビーチを漕ぐ。今朝は少し肌寒く感じる。毎朝、犬を散歩しているおじさんを追い越し、公衆トイレの掃除をしているおばちゃんに挨拶をする。キコキコ自転車を漕ぐ。青島のいつもの場所につくと、すでに何台か自転車は停まっている。おじさんたちの朝は早いなぁ。

風はだいぶん秋ぽくなってきた。水温はまだ高い。目の前に割れる波は予想通り腹ぐらい、潮のタイミングがよくアウトから割れてくれている。

何の緊張もない。何の遠慮もない。ただ、たまにくるセットを探すだけだ。集中と集中の解放、分割。心理学を勉強しているとこれが一つのマインドフルネスだと知った。サーファーは毎日これを繰り返し繰り返ししている。だから皆ノー天気なのかもしれない。

今日は1時間できっかり5本乗った。小さいけど、コンパクトでそこそこスピードも出る波だった。またキコキコ赤い自転車を漕いで家に帰る。駐輪場に自転車を止めるとそこからでも聞こえる可愛いモンスターの火を吹くような鳴き声。またサーフィンばっかりと妻に言われるだろうな。

誰かが言った「サーフィンは上手くなることよりも続けることの方が難しい」自分のタイミング、波のタイミング、人生のタイミング全てが整っていないとサーフィンはできない。その時どきで追いかけている波も違う。けれど、共通点はそこにいて幸せだという感覚。自然や波や仲間、自分自身の身体、全てに感謝しながら明日も早起きするのだ。サーフィンをしたことない人も少し遠ざかっている人も、明日海にいこう。

ライター : Ito “Ero-Tomo” Tomokun

プロフィール

伊藤智彦 1982年生まれ.宮崎市出身 青島在住
運動嫌いの高校生が行き着いた部活は山岳部.登山とロッククライミングを始める。浪人の頃にはサーフィンを始め、東京の大学にいくが宮崎の自然と海を捨てきれず、卒業後にソッコー帰郷.山は登山やトレイルラン、ボルダリング、海はサーフィンやダイビング、陸ではトライアスロンや料理など、満遍なく中途半端に上手くなるのが得意.さまざまな仕事、バイト(山岳ガイド、サーフインンストラクター、サーフギアのセールス)をした後、本業は会社を経営している。最近、小学生の頃の夢は作家さんだったことを思い出し、ライターの仕事を始める。(やらせてくださいと頼みこむ)
    JOURNALS Index